アラサーの思い出話

自分に自信が無い、趣味と呼べるものが無い、そんな自分が嫌だ。そんな想いから、自分の好きな事を見つけて、人に紹介できるようになりたい!と考えてブログを始めました。

旦那がうつになって思うこと#1

私の旦那は、結婚して2ヶ月後に

鬱で半年間の休職をしました。

勤めていた会社に席を置いたままお休みをさせてもらったんです。

原因は、『仕事量の多さ、上司のやり方と合わない』ことのようでした。

お休みしている間に、復帰後の職場を変えてもらえる事が決まって、半年後には復職しました。

 

復職してからは、上司やグループの人とうまくいって

それなりに生き生きと仕事をしていました。

 

ですが、旦那は『転職して地元に戻ってゆくゆくは親の面倒を見たい』という相談をしてきました。

(地元からは車で5時間ほど離れた土地で就職していたので、親に何かあった時にすぐに行けない事が気になっていたようです。)

 

その時は、仕事を続けながら転職活動をして、

次が決まってから退社するなら

リスクが無いんだしやってみれば?

くらいの気持ちで私は応援していました。

 

その時、旦那は34歳で、それまでに4回ほど転職をしていたんですが

『最後の転職にする、これで地元に帰って家を建てたりするんだ』

というような決意で転職を成功させました。

 

 

元々居た場所から車で5時間離れた土地に移ることになり、

私自身も退職をし、私は移り住んでから転職活動を始めました。

 

私の仕事が決まるまで約8ヶ月かかりましたが、

その間は旦那の扶養に入って、貯金を切り崩しながら生活していました。

 

そうして私も新しい仕事を始めて少しした頃、

というかもっと前からですが、

旦那の仕事に対する愚痴が多くなっていて

毎日のように"こんな考えられないような事があった"という話を帰ってきて話していました。

 

旦那は元々、正義感が強くて高い理想の持ち主で

曲がった事が嫌いな頑固者って感じなので、

愚痴の内容を聞いていると確かにそうなんだろうな、と思う話が多かったです。

 

段々ストレスが大きくなってきて、

自分から精神科に行きたいと言って周辺の病院を調べて1人で通うようになっていました。

前の会社で鬱病になった時も精神科に通っていたので、病院に行くことに抵抗は無さそうでした。

それよりも、睡眠剤を出してもらえるので

薬をもらたくて通っているように思えました。

 

旦那は神経質で、アパートの上下左右の部屋の音や

道路を走る車の音が気になって眠れなくなってしまうタイプで、

いつも耳栓をして寝ています。

 

音以外にも、翌日の仕事を考えたり

自分に合っていない(と思っている)仕事をこれからずっと続けるのか…という悩みを考える事でも

眠れなくなってしまうと言っていました。

私は『眠い時は寝る』という単純な性格なので、

旦那の『眠れない』と言うのが理解できず

"寝る前のスマホいじるのをやめるとか、快眠の為の努力が足りないんじゃないの?"と思ってイライラする事もありました。

 

そんな日が続いて、結局旦那は転職して丸一年で

鬱病の診断を受けて休職する事になりました。

 

休職に入る前や、休職してからの症状は

・何もやる気が起きない

・覇気がない

・死にたいと言う

・夜寝られず、明け方になって寝て朝起きない

といった感じでした。

 

私は、旦那の気持ちを下げないように

言葉にいつも気を遣っていました。

「大丈夫だよ、仕方ないよ、無理しないで、ゆっくり考えよう、私は必要としてるからね、等々」

誰にも相談できずに旦那を支えなければと思っていました。

 

 

でも、頑固者の旦那と違って、

私は子供の頃から『自分を曲げる』生き方をしてきたので、

旦那の悩みに対して沢山の苛立ちを感じました。

 

『他人(上司・同僚)や、組織(職場の考え)は変えられないんだから、自分の考えを変えるしかないじゃん。

大人としてそれが出来るのが当然。

自分の考えと違うから仕事に行きたくないなんて、ただ甘えているだけ。』

と内心では思っていました。

でも、弱っている人にそんな事を言ったらダメだと思ったので、

"いつも旦那の理解者で味方だよ"と感じさせて

立ち直ってもらわなきゃ、と努力していました。

 

その私の我慢、ストレスが膨れ上がる頃には

職場で仲良くなった人ができて、職場の休み時間に愚痴を聞いてもらうようになりました。

あまりにもツラくて、私が突然休み時間に泣きだしてしまう事もあり

私も「精神科に行った方がいいんじゃない?」

と言われるほどでした。

 

 

#2に続く。